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梅田墓(大阪七墓)の場所は「うめきた」のどこ?出土人骨はどうなる?wiki風に情報をまとめてみた。

梅田墓の場所は「うめきた」のどこ?出土人骨はどうなる?wiki風に情報をまとめてみた。

大阪梅田のほど近くで、1500体もの人骨が出土されたと話題になりました。

梅田といえば、大阪の中心地ですから・・・そんな大都市圏で人骨が発見されたといえば、驚きですよね!

今回は、そんな話題となった

  • 梅田墓の場所は、うめきたのどこなのか?
  • 梅田墓が発掘されて場所は、現在どうなっているのか?
  • 出土された人骨はどうなるのか?

などとあわせて、梅田墓の歴史をwiki風にまとめてみました。

梅田墓の場所は「うめきた」のどこ?

大阪に住んでいる人にはおなじみの「うめきた」ですが・・・他県の人なら「初めて聞いた!」というのも少なくないでしょう。

「うめきた」ちょうど、大阪駅の北側エリアを指します。

正式には「大阪駅北地区」と呼ばれている地域で、現在も再開発中・・・先に開発が終わった施設として有名なのが「グランフロント大阪」になるのです。

再開発の現状
  • うめきた1期
    グランフロント大阪などがあるエリア。
    再開発完了済み
  • うめきた2期
    グランフロント大阪から、さらに北西に広がるエリア。
    現在も開発中で、広さはグランフロントの2倍以上ある。
    大阪万博の開催にあわせて、2024年に大部分が開業する予定。

ちなみに今回、1500体の人骨が発見された「梅田墓」があったのは・・・うめきた2期の開発エリアになります。

梅田墓の位置は、ちょうど大阪駅を少し西に歩いた所あたりになりますね。

発掘現場は一般公開されていませんが・・・大阪市が公開した報道発表資料によると、より詳細な場所のイメージが掴めます。

発掘調査地の位置イメージ画像

梅田墓が発掘されてた場所は・・・現在は住居エリアになる?

梅田からほど近くにあった発掘地ですが、現在その多くが埋め戻しを終えているようです。

そして「梅田墓」があったエリアの現在を調べてみると・・・高級住宅エリアになるのでは!?と情報がありました。

今回うめきたの開発を手掛ける「都市再生機構(独立行政法人)」が発表した資料によると、確かに調査地のエリアと居住地のエリアが被っていますよね。

梅田墓再開発後は住居区になるのか?
やだナニそれ!?ちょっと怖いんだけど

正式な発表ではないので、あくまで地図上からみた予想になるのですが・・・画像をみた限り、梅田墓と少し被っているのでは?と考えられます。

出土人骨はどうなるの?大阪市のホームページで確認してみた

では発見された人骨や出土品については、どのような取り扱いになるのでしょうか?

大阪市が発表した内容によると・・・

調査を終えた大半の部分はすでに埋め戻していますが、現在も墓地の西南部を調査中です。人骨を含めて出土した遺物については、現在整理・分析の途中ですが、現時点で明らかになった調査の成果を紹介します。

引用:大阪市((8/13公開)

現在はまだ整理・分析中とのことなので、発掘された人骨も回収保管されていると考えられます。

また、同発表内容によると・・・今回見つかった墓は「無縁の墓」と考えられるようです。

と、つまり無縁仏といったところか

このことから・・・あくまで予想になるのですが、発掘終了後は「無縁仏」として扱われ供養されるのではないかと考えられます。

梅田墓の歴史をザックリwiki風にまとめてみた

では次に梅田墓の歴史について見ていきましょう。

今回発掘した調査団の発表によれば・・・

江戸時代初期、天満周辺に散在していた墓所を、曽根崎村(現在の大阪駅前第一ビル付近と推定されている)に分割移転させたのがその始まりで、その後、現在の「うめきた」南西部に貞享年間(1684年~1688年)に再移転されたと考えられている。

大坂七墓」のひとつとしてよく知られ、近松門左衛門の「曽根崎心中」や「心中天網島」などの文学作品にも取り上げられている。明治20年(1897年)頃に有縁の墓石は各所に移転されており、今回見つかったものはその後に残された無縁の墓と考えられる。

引用:大阪市((8/13公開)

もともとは、現在の大阪第一ビル(大阪駅より南東で徒歩圏内)の場所にあった墓地を、現在の梅田墓の位置へ移動したことになりますよね。

大阪七墓にも数えられるほど有名な墓で、江戸時代の文学作品にも取り上げられるほど。近年までは、供養等も建てられていたようです。

<参考サイト>
ノムコム大阪市