北朝鮮による拉致被害にあわれた『地村保志』さんが日本に帰国して18年・・・
保志の帰国に尽力した、父『地村保』さんが7月10日に亡くなられました。
同じく拉致被害者の横田めぐみさんの父も、6月5日に老衰で亡くなられ・・・立て続けに拉致被害者のご家族が亡くなられています。
このまま拉致問題の関係者が亡くなられてしまえば、拉致事件が風化されてしまう・・・そんなことだけは避けたいですよね。
今回の記事では、
- 地村保志さんが関わった拉致事件の経緯
- 地村保志さんの現在
- そして、父『地村保』の拉致問題への活動と、その想い
についてまとめました。
『アベック失踪事件』として拉致問題の被害者に・・・
#アナザーストーリーズ テーマは拉致を暴いた人達。最初に気付いたのはサンケイ記者だった阿部。警察関係者の「日本海で変な事が起きている」の言葉から各地で起きていたアベック失踪事件を一本の線に結びつけ、状況証拠を固めスクープ。しかし他メディアは無視。社内からもでっち上げの声があがる。 pic.twitter.com/MeAYGRdXiz
— ミスターK (@arapanman) March 2, 2017
事件が起きたのは、1978年・・・今からおよそ40年以上前。地村保志さん(当時23歳)と、その婚約者の浜本富貴恵(現妻)が福井県で失踪する事件が起きました。
事件当日は7日7日の七夕の日で、二人は展望台へデートに出かけそのまま行方不明となりました。
同年、日本各地で他にも2件のカップル失踪事件が起こり・・・のちに北朝鮮の拉致事件だと判明します。
この事件直後に、富山県でも4組のカップルが突然襲われる事件が起きました。襲撃されたカップルは、猿ぐつはをはめられ、体ごと袋に放り込まれました。
ちょうど近隣を通った犬の鳴き声でに驚き犯人が逃走したため、カップルは無事開放されたのです。
現場に残った犯人の遺留品から、猿ぐつわや手錠が見つかり・・・工業力の劣る海外製品であることが判明します。
北朝鮮の拉致事件であると判明したあとも、国際問題の観点からすぐには被害者の帰国は叶いませんでした。
2002年、小泉純一郎首相(当時)のときに、5人の拉致被害者の帰国が実現。そのときに、地村保志さんと妻・地村富貴恵が24年ぶりに日本帰国がかなったのです。
地村保志さんの帰国を願っていた、母の志子さんは・・・残念ながら帰国の半年前に死去。再開する願いは叶わなかったのです。
また、2002年の地村保志さんが帰国する際には・・・北朝鮮で生まれた3人の子供たち(息子・娘)の帰国もかないませんでした。
地村保志さん今。現在の仕事や拉致問題への活動は?

帰国後、地村保志は福井県小浜市役所に勤務していました。2016年には13年間勤め続けた市役所を定年退職しています。
現在では、北朝鮮での経験を全国各地で講演。
問題を知らない若年層が増えている。次世代に語り継ぐことで、解決に向けた世論を盛り上げたい。(活動する人の)世代交代が不可欠だ。
引用元:福井新聞ONLINE
事件が風化しないよう、各地で啓蒙活動を続けられています。
父:地村保さんの死去。全力で拉致問題と闘った姿に・・・感謝と感動の声。
地村保志の父である、地村保さんが7月10日に亡くなられました。
🔹地村保さんは、2002年に息子・保志さんが北朝鮮から帰国を果たした後も、ほかの拉致被害者や特定失踪者の救出を求め、個人で街頭署名に立つなど積極的に活動していましたが、今年に入って体調を崩し、入院していたということです。
葬儀は、家族葬で11日に行われます。https://t.co/bofvv2HkTw
— 酋長仮免厨 (@kazooooya) July 11, 2020
地村保さんは、息子の帰国を願って署名活動を行い・・・地村保志さんが帰国後も、積極的にその活動を続けました。
地村保志さんは、亡くなられた父について
父の救出活動がなければ、私たちの帰国もかなわなかったと思います。あらためて、父には心から感謝したいと思っています。
横田めぐみさんの父滋さんに続き、父も亡くなりました。拉致被害者・家族は高齢化し、解決には一刻の猶予もありません。
父は生前、すべての拉致被害者が帰国できることを心より望んでいました。父の遺志を引き継ぎ、我々の世代で拉致問題が解決されるよう今後も取り組んでいきたいと思います。
とコメントを発表しました。
生前に保さんは、ご自身の体験を著書で発表。拉致問題での苦悩や、息子の保志さんへの想いを綴っている。
著書『絆なお強く―別離の苦難を乗り越えて』で保さんの想いが語られる
地村保さんの著書『絆なお強く』は、息子の帰国を願って思いつく限りの行動をしてきたと語られる。
口語調でとても読みやすい内容になっている。
本の紹介文を一部抜粋すると
地村保さんの息子、保志さんの拉致による失踪後間もなく、母親は心痛のあまり倒れてしまう。父親の地村保さんは、妻の介護に明け暮れながらも仕事を続け、同時に息子の消息と救出を求めて、思いつく限りの行動をとってきた。一徹な父親のあくなき執念、それは24年間にも及ぶ壮絶な闘いの日々でもあった。「やっちゃんは必ず帰ってくる」と息子の生存を信じて、24年間待ち続けた父親の執念と行動力。
テレビやメディアのニュースだけでは伝えきれない、一人の父親としての姿が本を通して伝わってきますよね。
『拉致問題』が起きたことによって、関わった多くの人の人生が一転してしまう。。。
そんな当たり前のことに、読んでいて私も気づかせられました。
記事情報まとめ
今回の記事では、
- 地村保志さんが関わった拉致事件の経緯
- 地村保志さんの現在
- そして、父『地村保』の拉致問題への活動と、その想い
についてまとめました。
拉致事件は国際間の問題になるので、、個人のチカラでは解決するのが難しい問題です。
一生をかけて、拉致事件に取り組んだ『地村保志さん』と父『地村保さん』の活動を無駄にしないように・・・いち早くこの問題が解決することを願います。
<画像出典>
「歴史になる」地村保志さん危機感 拉致解決へ若い世代に訴え続け | 福井新聞ONLINE
地村保志さん「今、解決しないと」 北朝鮮での生活、中学生に語る | 福井新聞ONLINE
NHK放送史